★世代を超えて受け継がれてきた【ノニ】

/

古代ポリネシア人の祖先は、新天地を求めて代々受け継がれてきた土地を離れる時、タロイモ、ククイナッツ、ヤシ、パンの木など、生活に欠かせない植物をカヌーに積み込みました。「カヌープラント」と呼ばれるこれらの植物の中には、絶え間なく実を結ぶ植物「ノニ」が含まれていて、民の健康と命を支えてきました。タヒチとその周辺の島々に運ばれたこの貴重なノニは、島々の人々により大切に育てられ、果実、葉、種子を用いる「知恵」は、その後何世代にもわたって親から子へと受け継がれてきました。古代の書物でノニはカラダのバランスを整え、カラダを完全に調和した状態に安定させるものとして紹介されています。しかし、この貴重な植物が持つ恵は、18世紀にヨーロッパの探検隊がノニの木を偶然発見するまで、太平洋の島々でしか知られていませんでした。そして、1950年代に入り、ノニ研究の父とよばれる生物学者「ラルフ・ハイニキー博士」によって、ノニの神秘が明らかにされることになったのです。『Earth’sBest』より抜粋

【ノニ】とアメリカ

1940年代、アメリカはノニを「ノノ」という名称で食品として認可して
いました。第二次世界大戦中アメリカ軍はポリネシア諸島のボラボラ島
に基地をつくり、その時に現地の果実や植物について調査しました。
飢饉の時に原住民が「ノノ」を食べていることがわかり、そのため現地
の果実や野菜と同時に「ノノ」を食品として認可しました。
『John Wadsworth Story』より抜粋

★【ノニの価値】の移り変わり

1995年以前の価値は?

1995年11月モリンダ社が創業するまで、フレンチポリネシアの原住民たちは「ノニ」果実から絞ったジュースを健康維持に利用していたにもかかわらず、においや味があまりにひどいため、このジュースにお金を払う人など誰もいないと考えていました。果実を収穫して市場に出すというと、ほとんどの人が相手にしないか、一笑されていたそうです。『John Wadsworth Story』より抜粋

モリンダ社創業から24年後の現在の価値は?

以前のタヒチやフレンチポリネシアの産業は、観光と黒真珠が主でした。閑散期や黒真珠が採れない時期は、男衆は出稼ぎに遠方地域まで行っていました。現在では、ノニ産業は黒真珠の輸出金額を上回るほどに成長しました。